渋沢栄一著書『論語と算盤』
今回のテーマは新一万円札の顔、日本の資本主義の父に学ぶお金稼ぎの本質について解説していきたいと思います。2024年、1万円札の顔が変わります。論語と算盤の著者、渋沢栄一さんです。論語と算盤は大正5年、1916年に刊行されました。100年以上の月日が経った現在でもなお多くの経営者や事業家に愛されている良書ですね。2021年の大河ドラマ青天をつけは、主人公渋沢栄一役を吉沢亮さんが演じていて話題になりましたね。
論語と算盤って聞いてもピンとこないですよね。論語というのは、孔子と弟子とのやり取りをまとめたもので、人の生き方や道徳感について記されています。一方算盤とは商業ビジネスを意味します。現代っぽく言うと道徳とビジネス、こんな感じなりますかね。お金を稼ぐことは汚いこと、そんなふうに捉えている人にとっては、道徳とビジネスは相容れないものに感じるかもしれませんね。
ですが新一万円札の顔渋沢栄一さんは論語の考えで商売ができないか、それによって財産を増やせるのではないかって考えたわけです。そしてその新しい解釈と実践をまとめたのが論語と算盤なんですね。論語と算盤は100年以上愛されている良書ですが、ご覧の通りちょっととっつきにくく感じる人もいるかもしれません。なんか固そうですよね。でも中身はめちゃくちゃいい本なんですよ。論語と算盤をテーマにした関連書籍も数多く出版されていますが、図解渋沢栄一と論語と算盤は、渋沢栄一さんと論語と算盤について図解も交えて解説されているのでわかりやすい1冊です。活字が苦手な方は漫画版もありますね。
ということで今回は、図解渋沢栄一と論語と算盤をベースに、日本の資本主義の父と呼ばれるほどの経済人でありながら、最後まで論語に忠実に生きた渋沢栄一さんのやばいところ5選と論語と算盤の教えを解説していきます。お金を稼ぐってなんだか悪いことをしてるように感じるなとか、周りの人を幸せにしながらお金を稼ぎたいけどどうすればいいんだろうとか、そんな方にとって一つの答えを示す内容になると思います。
渋沢栄一さんってどんな人?
渋沢さんは1840年に埼玉県で生まれ、1931年に91歳で亡くなられています。日本では日本の資本主義の父って呼ばれ、民間の経済人としてのスタートは日本最古の銀行である第一国立銀行の総監役でした。総監というのは現在の頭取ですね。私達が当たり前のように銀行を利用できるのも渋沢さんのお陰ってわけです。
それから渋沢さんは生涯に500以上の会社を設立して、日本の資本主義経済の礎を築きました。今回紹介する論語と算盤は1916年、渋沢さんが76歳のときに出版されました。
そんな渋沢栄一さんのここがやばいところ5選いきましょう。
①天才教育を受けた幼少期
渋沢さんは江戸時代末期、埼玉県の農家に生まれました。農家といってもビジネスに成功した豪農の1人息子で、幼少期から学問に力を入れていたそうです。
7歳から実業家のもとで論語を学びました、12歳のときには、本を読みながらドブに落ちてしまったって逸話があるほどの読書量だったようです。
14歳のときには家業であった藍染料の取引でビジネスについても学びます。こうして幼少期から知性と経営感覚を身につけていったんですね。
②農民でありながら武士に
16歳のとき、ある事件が起きました。ある日住んでいた地域の代官から呼ばれ、渋沢さんは父の代理として出頭しました。出頭すると代官が500両を持ってきなさいと言われました。そうすると渋沢さんが父に伝えて、改めてお返事いたしますと言うと、代官が馬鹿野郎ガキの使いじゃないんだからさっさと500両を渡さんかいと言ったところ、渋沢さんは父に伝えて、改めてお返事いたしますって怒ったそうなんですね。
この渋沢さんの反応に代官は大激怒したそうです。結果的に渋沢さんのお父さんが500両を支払いこの事件は幕を閉じ、めでたしめでたしとはなりませんでした。渋沢さんは、権力者だからといってこんな理不尽が許される世の中でいいんだろうか、能力もない人間が上から物を言いやがってと言っていたかどうかわかりませんが、後に横っ面を張り倒したいほど腹が立ったものだって語っていたそうです。
こうして渋沢さんは農民の身分は不合理、幕府の封建制に対する疑念を抱くようになり、幕府の腐敗を洗濯してやるって決意し、個人のレベルで馬鹿にされて悔しいと憤るのではなく、江戸時代の身分制度はシステムとして駄目だって考えたわけですね。同じ時期に坂本龍馬は日本を今一度洗濯いたし申し候って言っていたそうです。
その後渋沢さんは江戸に出て、様々な塾で学び、才能のある仲間を増やしていきます。1863年、23歳の渋沢さんと仲間たちは倒幕をもくろみ、クーデターを計画しましたが、無謀な計画であると止められて頓挫してしまいます。しかし、江戸で学んでいた時期の出会いがきっかけとなり、一橋徳川家の家来になります埼玉の農民がついに武士になったわけですね。
③倒幕失敗からまさかの幕臣に昇格
渋沢さんは順調に出世して、5年後には一橋家の家臣にまでなりました。そして1866年、事態は急変します。徳川14代将軍家茂が病死したことで、一橋家の慶喜が徳川15代将軍になったわけですね。
倒幕をもくろみ、クーデターを計画していたにもかかわらず、あれよあれよという間に渋沢は将軍直属の家臣幕臣になりました。そして1867年、パリ万国博覧会が開催されるにあたり、27歳の渋沢は、使節団としてパリに渡りました。ここまでを振り返ってみると、埼玉で生まれ、倒幕を志した農民が幕府の家臣になり、パリに行くっていう怒涛の展開ですね。
どんな状況でも柔軟に対応して、時代の流れに乗ってチャンスを掴んでいったからこそ、渋沢さんの成功に繋がったのかもしれません。レオナルド・ダ・ヴィンチの言葉。チャンスの女神は前髪しか生えていないの言葉通り、渋沢さんもまた後頭部の剥げたチャンスの神様の前髪をがっしりと掴んできたのでしょうね。
④新政府からのスカウトで大蔵省へ、200もの改革を行う
パリ万博使節団として数年間日本を離れ、渋沢さんがヨーロッパ各国の政治制度や近代産業について学ぶうちに、江戸では大政奉還が起こりました。自分の主人である慶喜が政権を天皇に返納したんですね。後にこのときの驚きは言語に絶するって語っています。
日本に帰国した渋沢さんは西洋で学んだが株式会社の仕組みを日本でも実施して、金融業務や商いを行いました。そんな中、またもや転機が起きます。新政府からスカウトの声がかかったんですね。当時の新政府は日本中の優秀な人材に目を光らせて、こいつはできるって思ったら即採用していたそうです。大隈重信から大蔵省に誘われて、渋沢さんは様々な制度改正を手がけます。
全国の測量、租税制度の改正、貨幣制度の改革。現代なら数年単位どころか何年かかるんだろうっていう単位で変えていくような大きな改革を、1人の人間が2年足らずで200以上改革しました。人間はではありませんね。この頃の新政府は、優秀な人材のみを集めた小回りの利く小さめの集団でした。ビルゲイツは、優秀なソフトウェアプログラマーは平均的なプログラマーの1万倍の価値があるって語っていますが、渋沢さんも平均の数十倍、数百倍の生産性がある人物だったようですね。
⑤500以上の会社を興し、日本の資本主義の父へ
1873年、33歳の頃、新政府でも活躍した渋沢さんですが、ある時きっぱりと新政府を辞めました。大蔵省の官僚として第一国立銀行の創設を指導して退官と同時に移籍しました。渋沢さんは民間にいい人材がいないから、官民のバランスが悪い。自分は民間に行き、商業社会に尽くすって考えたわけですね。
民間人となった渋沢さんは500近い会社を興し、日本の経済発展に尽力しました。非常に多くの有名な会社に関わっています。現在の東京海上日動や日本郵便会社。現在の東京ガス、帝国ホテル、それからサッポロビールに東京電力、3大メガバンクと、現代に残る様々な企業の創立に関わっています。こうした企業を設立していく中で、渋沢さんが精神の柱にしたのは論語でした。
みんなを良くするためにはどうしたらいいだろうっていう倫理感を持つからこそ、企業のみならず国の経済全体を発展させることができたわけですね。お金というのは仕事の残りカスみたいなものだと渋沢さんは言います。日本でいちばん大切にしたい会社にも選ばれた伊那食品工業の塚越さんも、利益は残ったウンチにしか過ぎない。健康な体であれば、人間はウンチをする、普通に生活していれば出るもの、企業も一緒であり、健全であれば利益は出て当たり前、あくまで利益は残りカスって表現されていますね。仕事をして多くの人を助け、価値を提供した結果、気が付けばお金も貯まっているってことですね。
日本の資本主義の父に学ぶお金稼ぎの本質
以上の話を通じて渋沢栄一さんがどんな人か少しわかったんじゃないでしょうか?論語の精神の柱として、生涯を通じて論語の教訓で商売することを実践し、国の経済全体を発展させた、まさに資本主義の父ですね。そんな渋沢さんが76歳のときに出版した論語と算盤の中から、皆さんの人生をより豊かにしてくれるお金稼ぎの本質7選を紹介します。
1.大きな成功より大事なことは、道を踏み外さないこと
どんなに大きな成功よりも生涯を通じて不道徳なことに手を染めないことが大事ってことです。そのために論語を熟読しなさいとも書かれています。この熟読というのは、ただ本を読むのではなく、生涯にわたって実践するって意味です。
現代の日本でも経済的に成功しているはずの経営者が様々な不道徳を行い、ニュースになりますよね、ちょっと厳し過ぎるかなっていうときも少なくないんですけどね。渋沢さんはこう言っています。仁義道徳に基づかなければ、決して永続するものではないと私は考える。要は、道徳のないお金儲けは長続きしないよってことですね。自分のことばっかり考えて、道徳心のないお金儲けは長く続くはずがありません。
2.金銭を卑しむな尊い仕事はいたるところにある
金銭は卑しいものって考えているようでは成り立たない、人間の励むべき尊い仕事はいたるところにあるよっていうことですね。渋沢さんは新しい世の中は経済によって成り立つものであるっていう考えにいち早く到達し、日本人の金銭を卑しむ傾向を転換させました。でも未だにありますよね。お金を稼ぐってなんだか悪いことしてるように感じる。この感覚は江戸時代から続いているものなんですね。ですが、1万円札の顔としての先輩である福沢諭吉さんも、金銭は独立の基本なり、これを卑しむべからずと言っています。
スキルを磨くとかこんな行動をしていこうっていう前に、その人の心の底ではお金を汚いものって考えている人が少なくないんですね。そうなった原因は様々ですが、例えば幼少期、お金のことでつらい思いをしたとか、親戚や親からお金の話をするのは卑しいことって教わったといった経験から、お金は汚い卑しいものだって考えてしまうようです。
お金は中立です。お金そのものに綺麗も汚いもありません。もちろん物理的にはお金は手垢ベッタベタで汚いとかありますけどね、お金自体を汚いものって捉えると、お金持ちから遠ざかってしまいます。人間、汚い物をためようとはしないからですね。お金儲け=汚いこととかよくないこと、このように考えると、脳はやらない理由とか、うまくいかない理由を探し出します。良い稼ぎ方、悪い稼ぎ方はありますが、お金自体に色はありません。
経済っていう言葉の語源は、経世済民。経世済民の意味は、世の中をよく治めて人々を苦しみから救うことです。みんなを良くするためにはどうしたらいいだろうっていう視点に立って働いてお金を稼ぐことは決して卑しいものではありません。
3.蟹穴主義が肝要
蟹穴主義っていうのは、カニが自らの甲羅の大きさに合わせて穴を掘るように自分のことを知って分をわきまえよってことですね。こうやって聞くと何だか消極的なメッセージに聞こえるかもしれませんよね。でも蟹穴主義っていうのは、自分のスケールや特性に合ってる環境で働くことができれば、満足度も高く、生み出す価値も最大限にできるよってことですね。
投資の神様ウォーレンバフェットも自分の能力の輪を知り、その中にとどまること。輪の大きさはさほど大事じゃない。大事なのは輪の境界がどこにあるかをしっかりと見極めることだ。こう言ってますね。人生を有意義に過ごすためにも、自分を知ることが重要なんですね。
まだ成果が出ていない人はあれもこれもでいきなりやるんじゃなくて、自分の得意能力の輪の中で小さな成功を積み重ねて密度を濃くしていきましょう。本当に苦手なこと、能力の輪の外のことは得意な人に頼ればいいですね。苦手を鍛えていって稼ぐ必要はないです。得意を磨いていきましょう。
4.仕事を趣味として取り組む
孔子も好きなことを仕事にすれば一生働かなくて済む、こう言ってますね。って言っても、仕事が趣味なんてそんなふうに行くわけないだろう、こちとら毎週明日の仕事を考えると憂鬱になっちゃうサザエさん症候群なんじゃいって声が聞こえてきそうですが、ここで言う趣味とは、単なる遊びという意味ではありません。目の前の物事に対して理想だったり、思いだったり、そういうものを付け加えて主体的に取り組んでいく。そうなると仕事が楽しくなってくるし、本当の意味で仕事に対して趣味を持って取り組むことになりますね。
蟹穴主義でも話したように、自分のスケールや特性に合った仕事というのはすごく楽しいものになります。自分の得意とか好きなことやってて仕事になるわけですからね宮沢賢治さんの生徒諸君に寄せるっていう詩の中にこうあります。この4ヶ年が私にどんな楽しかったか、私は毎日鳥のように教室で歌って暮らした地下っていうが、私はこの仕事で疲れを覚えたことはない宮沢賢治さんが花巻農学校で教えた日々を振り返った詩です。宮沢さんにとって教職は鳥のように歌っているかのごとく、楽しい時間だったんでしょうね。
5.金儲けのうまい人を目標にするな
金儲けがうまい人=成功者という考えは根強いが、本当に目標にすべきは経済的な成功を通してみんなを幸せにする人だ。派手に飲み歩いていたり、高級車を見せびらかしたり、ブランド物で身を包んだり、それ自体が悪いことではありませんが、ついついお金を持っているっていう理由だけでこの人は立派な人だって捉えてしまいがちですよね。怪しい情報商材なんかによく見かけるスタイルです。
でも本当の意味で長く成功する人というのは、お金儲けや商売を通じて私腹を肥やすばかりではなく、みんなが幸せになることを考えられる、それこそが道徳心であり、長期的な繁栄の秘訣なんですね。本田精六さんは巨万の富を築いた後、ほとんどの財産を公共投資に寄付しました。彼は渋沢さんとも親交が深く、儲けることは金銭上のことだけではなく、道徳、教養、生活、社会報酬をプラスにすることであると語っています。
ただお金儲けがうまいだけの人は持って10年、どれだけ長くても20年で見るとみんな消えていきました。豊かなお金持ちになるために使う力は必要不可欠です。自分にも人にも上手に使える人は長く繁栄できますね。
6.専門的な能力を身につけよう
目的のない学問のための学問では駄目だ、専門技術を身につけて、世の中に貢献することこそ尊いっていうんですね。東京帝国大学や慶應義塾大学などがエリート養成機関として従事された当時の大学は一般の人はなかなか通うことができませんでした。しかし渋沢さんは会社の経営やマネジメントができる戦力となる人材を育てる必要性を感じて、東京商業大学、現在の一橋大学、高千穂商業学校、現在の高千穂大学ですね。それから大倉商業学校、現在の東京経済大学などの設立に関与しました。
簿記や英語といった実学を学ばせ、会社やビジネスを動かす人材を増やしたかったんですね。ビジネスに役立つ専門的なスキルを身につけることは、いつの時代も稼ぐ力に繋がるってことですね。
7.成功と失敗を超えていけ
成功と失敗を気にするよりも、生涯をかけて誠実に努力しよう。そうすれば成功、失敗以上に価値のある人生になる。長い人生を見てみると、誠実に生きている人に天は微笑むと渋沢さんは言います。誠実に生きている人は信用され、信用される人には運が向くからです。
皆さんはあなたが今一番成功していると思える人は誰ですか?と質問されて、皆さんはどんな人を思い浮かべますか。そして今、皆さんが頭の中に思い浮かべた人物、必ず失敗をしていますよ。言うとあの人はそんな大した失敗してないでしょうって思うかもしれませんが、みんな例外なく失敗しています。成功の部分が目立つから、失敗していないように見えるだけですね。
アマゾンの創設者ジェフベゾスはこう言ってます。我々が他より際立っているところは失敗についてだと思う。我々は世界一失敗している企業であるし、実例を挙げるときりがない。こう言っていますね、世界一成功していると思える企業でも失敗しまくってるんですね。大事なのは失敗から学び、反省するところは反省して、腐らずにコツコツと実直に続けることですね。誠実にやっていればちゃんと見てくれてる人はいます。いつの時代も、運というのは人が運んでくるものです。目先の結果にとらわれず、調子が悪いなと思ったら誠実にまた努力する。するとまた風向きが良くなってきますね。
まとめ
最後にまとめです。次の2点について解説しました。
【渋沢栄一さんってどんな人。ここがやばい5選】
天才教育を受けた幼少期、農民でありながら武士に、倒幕失敗まさかの幕臣に昇格し、政府からのスカウトで大蔵省へ200もの改革を行う、500以上の会社を興し、日本の資本主義の父って呼ばれるほどの経済人でありながら、最後まで論語に忠実に生きた渋沢栄一。みんなを良くするためにはどうしたらいいだろうっていう倫理感を持つからこそ、企業のみならず国の経済全体を発展させることができたわけですね。
【日本の資本主義の父に学ぶお金稼ぎの本質】
7つのポイントを紹介しました。
1.大きな成功より大事なことは道を踏み外さないこと
2.金銭を卑しむな尊い仕事はいたるところにある
3.蟹穴主義が肝要
4.仕事を趣味として取り組む
5.金儲けのうまい人を目標にするな
6.専門的な能力を身につけよう
7.成功と失敗を超えていけ
以上参考になれば嬉しいです。人生の最後に自分を振り返ったとき、いい人生だったなって思えるような、そんな人生にするために、一歩一歩誠実に行動していきましょう。
最後まで読んで頂きましてありがとうございました。